失踪1日目 10月13日続き

途方にくれているところに、30年来の友達、Nちゃんから電話がありました。「猫が逃げて、もう会えない」と嘆いたところ、「猫は生きているんだから、泣いている必要はない」と言われ、元気が出てきました。

 

生きてさえいれば、きっとまた会える。

食欲がないのに、空腹を感じ、ありあわせを少し口にして、夕飯にしました。

 

オッポは朝食べたきり、飲み水もないのだ、眠るベッドもない、と考えれば、胸が苦しくなってきます。

 

布団に入っても眠れずにいたところ、チャーリー(こちらは2年弱前に、地域猫から家の猫になった推定4歳の雄猫)が火のついたように鳴きだしました。明らかにオッポを探しています。

 

オッポはよく私のベッドの足元で寝ていたので、私の頭の横のベッドサイドに手をかけて、覗き込んでは鳴くんです。結局、3時半まで鳴き通しして、少しウトウトしたら、また明け方5時から、大声で鳴いて。

 

ボーっとしたまま、捜索2日めが始まりました。

 

失踪1日目 10月13日 木曜日

あと数歩で動物病院、というところでキャリーのふたが開いてしまい、オッポは桜田通りを疾走して渡りきりました。午前10時半くらいのことです。

 

6年前に捕獲機で捕まえてもらった地域猫です。捕獲までに餌やりが50日に渡り、やっとうちの子になった猫です。

 

2011年7月21日に、避妊手術をして、それ以来病院へ連れて行くのが初めてでした。

私はリウマチがかなりひどく、手、足が不自由でオッポを抱っこしたり、キャリーケースに入れることができなかったからです。幸いオッポは大病しない猫でした。

 

今回、猫に慣れたご近所のMさんが、手伝ってくださり、やっと通院になったのです。

 

それでも、キャリーに入るのを嫌がるオッポの背中を私が押さえつけ、Mさんが洗濯ネットで包み、何とかキャリーに押し込みました。病院へ連れて行くのではなかった、とか、後悔は押し寄せますが、口の中を痛そうにしているのを見るのは辛くて。

 

白い蝶のようにひらひらと桜田通りを走っていく姿に、一瞬、もうだめだ、と思いました。もう私の元から離れてしまった。本当に、足元から地面が崩れるようで、涙があふれてきました。

 

Mさんも、桜田通りを渡り追いかけてくれました。通りかかった男性が分離帯の木の植え込みに姿が見えた、と確認に行ってくださいました。でも、もうどこにもいません。

 

Mさんと逃げ込んだあたりを探しましたが、結局見つからず、いったん家に戻りました。

 

それから、私は何をしていたのでしょう?そんな状況でも、お腹はすいて、家にあるものを食べましたが、ズシーンと胃が重くなって、もたれて。どんより曇った一日で。

 

迷子猫・保護猫掲示板と迷い猫NETに登録しました。

本当に途方にくれて泣きました。

 

 

迷子の白猫オッポ 捜索の記録 港区高輪・白金台

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地域猫だったオッポの推定誕生日は今日、10月18日です。

7歳になります。

 

でも、私と一緒に誕生日をお祝いできません。

 

10月13日に白金台の動物病院へ連れて行く際、キャリーケースの蓋が開き、飛び出してしまったからです。桜田通りを走って渡り、高輪台の「みずほ銀行」の裏手へ消えて、それっきりです。

 

高輪3丁目の路地裏を毎日探しています。どんな些細な情報でもお寄せいただければ、と初めてのブログに挑戦します。

 

オッポ 雌猫(避妊済み)

右の耳に桜カット (向かって左側の耳)

毛の色 真っ白 耳がピンク

体重 5キロくらい 中型

ここ、10日くらい、歯を痛そうにしていました。左目が涙で汚れ気味になってきました。初めてのことなので、獣医へ連れて行こうとしたのです。

 

もう見つからないのではという弱気と絶対に見つけるという強気が一日に何度も交錯します。

 

13日以降の捜査活動もこれから記録していきます。